ウェディング体験談

難しいと思った国際結婚も大成功!

私の結婚した相手は中国人です。大学時代にアメリカに留学していた際に知り合いました。大学にはいろいろな国からの留学生がきていましたが、同じアジア圏とあって中国人や韓国人、タイ人とはよく交流がありました。アジアンコミュニティで彼はリーダー的な役割を担っていて、てきぱきと働き、気づかいのできる人柄が魅力的でした。大学を卒業して私は帰国しましたが、彼はアメリカで就職しました。卒業してからも長い休みにはわざわざ日本まで会いにきてくれました。遠距離恋愛を続けて2年、私たちはようやく結婚することになりました。

困ったのは常滑の結婚式場です。彼は香港出身で、あちらではあちらのしきたりがあります。私は日本に家族も友人もいますから日本で式をしたいという希望が強かったのです。迷ったあげく、日本と香港両方で式をすることにして、お互いの両親だけ来てもらうことにしました。結婚式の1週間ほど前から彼の両親に来日してもらい、日本をいろいろ紹介しました。香港には日本食も多くありますし、日本に関していろいろな知識をお持ちでした。しかし、結婚式は初めてということでドキドキしましたが、着物姿もほめてもらい、懐石の料理も喜んでもらいました。

数ヶ月後、今度は私が香港に行って結婚式を行いました。あちらの結婚式は赤と金がメインカラーで会場もド派手に飾られていてびっくりしました。ウェディングドレスなどは日本と同じでしたが、来客はそこまでかしこまった服装ではなくてもいいようです。日本では黒いスーツに白のネクタイが一般的ですが、あちらではそれはお葬式の恰好なので気をつけるようにと言われました。ケーキカットやスピーチなども日本と同様に行われ、話が通じないながらも彼の友人や親せきなどに挨拶することができました。

二つの国で結婚式をするなんてとプレッシャーを感じていましたが、国は違っても祝福する気持は一緒だなと感じました。香港という国は彼と出会うまで私にとってはあまり縁のない国でしたが、これからは私や生まれてくる子供の母国となると思うと不思議な気持ちです。結婚式で目の当たりにした文化の違い、これからその違いをかみしめる機会は多くあると思いますが気持よく受け入れられるようになれたらいいと思いました。

いつまでも心に残るとても印象的なウェディングでした!

先日会社の同僚の結婚式に出席しました。私は友人が多く、結婚式に出席した回数はかなり多い方だとは思いますが、今までで最高の結婚式でした。彼女とは出会ってからまだ2年ほどしか経っていません。今の会社に中途採用として入社してきたのが彼女でした。最初に会ったときから独特な雰囲気のある人だなと思っていました。人に合わせたり、つるんだりするのがあまり好きではないらしく一匹オオカミというイメージです。ランチに誘うと快くOKしてくれますが、いつもは一人でのんびり雑誌を見たり、音楽を聞いたりしながらランチをする人でした。女性はうわさ好きが多いのですが、彼女が人の悪口を言ったりするのは聞いたことがありません。

そんなミステリアスな彼女の結婚式ですが、全て自分たちで作ったという手作りのウェディングでした。モダンな式場でしたが招待状は彼女がデザインし、印刷したと聞きました。また各テーブルに飾ってあるブーケも彼女がプリサーブドフラワー作るのが得意という友人と一緒につくったものでした。各テーブルにはデジカメが置かれていて、自由に写真をお取りくださいとありました。料理は一般的なフレンチのコースでしたが全部私の好きなものというだけあってフォアグラのステーキやサーモンとアボガドのカルパッチョなど女性好みのものが多かったです。

そして何よりも印象的だったのは司会を立てなかったことです。彼女は進行もお互いの紹介も新郎新婦二人で行っていました。お互いのプロフィールや生い立ちを読みあったり、面白おかしく話をして場を盛り上げていました。私も常々二人を知らない赤の他人が司会をすることに疑問を感じていたのでとても素敵な演出だと思いました。彼女のお父さんがスピーチをしたのですが、とても個性の強い娘で戸惑ったこともありましたというのを聞いてなんだか納得してしまいました。新郎は私は結婚式で初めて会ったのですが結婚式の中で新郎が話をする場面が多かったためなんだか初対面とは思えないくらい親近感を感じました。結婚式とは結婚相手を自分の家族や友人に紹介する場であるという本来の目的を改めて考えることができました。BGMも彼女が好きな音楽を片っ端から流してる感じでなんだか面白かったです。

出口で新郎新婦が手作りのドラジェを配っていました。なんだか最後まで新郎新婦の気づかいを感じることができました。私はもう結婚していますが、もっと自分の結婚式で工夫をすればよかったななどと不覚にも思ってしまいました。

別れた彼女のウェディングドレス姿を一目見ることができた!

僕には高校時代から大学3年生まで交際した彼女がいました。僕たちの交際は彼女が僕に興味を持ってくれたことから始まりました。高校1年生の夏に彼女は僕の高校に転校してきました。僕はとくに彼女に興味があったわけではありませんが同じグループにいたので交流がないわけではありませんでした。彼女からのアプローチはストレートでした。僕に好意を持っていることは誰の目にも明らかでした。サッカー部の試合は毎回見に来ていたし、どうでもいい用事で電話をもらったのは1,2回ではありませんでした。その様子は正直滑稽にも思えました。僕は大学受験を控え誰かと付き合うという気分にはなれなかったので友人関係を続けていました。それでも彼女は僕のそばを離れることはありませんでした。

やがて高校を卒業する時期がきて、同級生はみんなそれぞれの道にすすもうとしていました。もうすぐ彼女と離れるとわかったときに僕の中で何かが変わりました。特別美人というわけではない、頭がいいというわけでもない、要領もよくない、そんな彼女だけど僕のことをこれほど思ってくれた人が他にいるだろうか、そう考えるといつの間にか僕の中で彼女が特別な存在になっていることに気付きました。僕たちは正式に交際することになり、彼女は僕と同じ東京の大学に通うことになりました。彼女と過した大学3年間は本当に充実したものでした。半同棲し、新しい環境でお互いを支え合い、とても強い絆で結ばれていたと思います。しかし、大学を卒業し就職したあたりから僕たちは次第に会う時間が減り、彼女に僕以外の誰かがいるとすぐに気付きました。

勝手なもので、高校時代3年間も彼女を待たせ続けたのに自分の中で彼女を忘れるのにだいぶ時間がかかりました。青春のすべてを二人で過ごし、恋人であり、家族であり、僕のことを誰より理解してくれた相手でした。あとにも先にもあんな風に一晩中泣き続けたことはありませんでした。あれから3年。仕事に没頭し、ようやく彼女のことを思い出にすることができました。そんなとき共通の友人から彼女が結婚することを知らされました。彼女のウェディング姿を一目みたい。未練ではなく、それはまるで妹を嫁に出すような気持でした。

彼女が式を行ったのは都内の老舗ホテルで広い庭園が有名です。そこに行けば彼女を見ることができるかもしれないと思いました。当日、僕はお恥ずかしながらそこにいました。それは挙式のあとの写真撮影のときだったと思います。たくさんの来客の向こうに彼女の姿が見えました。ウェディングドレス姿はとてもきれいでした。その笑顔はほんものでした。僕の前で笑い、泣き、怒り、いろいろな表情を見せてくれた彼女でした。本当にもう僕の手の届かないところにいってしまうけれど、幸せになってほしいと心から思いました。僕は彼女の青春であり、彼女は僕の青春でした。

幼いころから憧れていた結婚式を実現することができた!

もう何年も前のことですが結婚式をしました。私は小さいころから漠然と結婚式に憧れがありました。真っ白なウェディングドレスときらきらと輝くティアラは幼いころからの私の夢でした。幼少期は将来の夢は?と聞かれると必ずお嫁さんと答えていたほどです。20歳を過ぎたころから早く素敵な人を見つけて結婚したいという願望がありました。大学を卒業して就職しましたがもともとキャリアウーマンタイプではなかったので仕事は正直腰掛け程度にしか思っていませんでした。次々と寿退社していく同僚がうらやましくて仕方なかったです。

待っていてもいい人は現れない、そう判断した私は婚活に精をだしました。合コンがあればこまめに顔を出し、お見合いサークルなどにも登録しました。そんな私をみかねたのか親戚が仲人となって紹介してくれたのが今の主人でした。理想が高いというわけではありませんが、それなりに結婚には条件がありました。年収が600万円以上、たばこは吸わない、次男など。親戚が8歳年上の主人のお見合い写真を持ってきたとき正直あまり気が乗りませんでした。しかし、実際に会った主人は写真より数倍印象がよく、話も弾みました。何度かデートを重ねるうちにこれが私の運命の相手かもしれないと思うようになりました。

お互い結婚を前提でしたのでプロポーズまでは時間がかかりませんでした。最近流行りのブライダル雑誌などに目を通すのは楽しかったです。いろいろな式場があって、様々な演出があって、どんな結婚式にしようかと思い描くと夜も眠れませんでした。ウェディングドレスは桂由美のものを選びました。そのきらびやかさと美しさには息を飲みました。試着するときのあの感激は一生忘れません。ブーケなどはも種類が豊富で選ぶのが楽しかったです。その他にも料理のコースや引き出物、使用するBGMなど決めなければならないことは多くありましたが私は毎回打ち合わせをとても楽しんでいました。主人はあまりそういったことには興味がなかったので全て私の好きなようにさせてもらいました。

両親へのお礼の手紙や結婚までの生い立ちをDVDにまとめたものなどありきたりの演出ですが友人や家族が楽しい時間を過ごしてくれたことも嬉しかったです。とくに女性にとっては結婚式は一大イベントだと思います。何か事情があって結婚式をすることができない人もいると思いますが、女性なら誰でも素敵な結婚することを夢見ない人はいないと思います。

血のつながらない最愛の娘の結婚式で感激した!

先日、娘の結婚式がありました。娘といっても実の娘ではありません。私は30歳のときに再婚しました。初めて妻が2歳の娘を連れてきた日のことを今でもはっきりと覚えています。ピンクのワンピースで妻の後ろから恥ずかしそうに顔を出したていた娘は私にとって不思議な存在でした。妻はシングルマザーで娘は生まれたときから父親がいませんでした。妻の話では父親ができるということをとても喜んでいるということでしたが私になつくまで少し時間がかかりました。二人で出かけたり、お風呂に入るようになるまでは半年以上の時間を要したように思います。でも初めて私の手を取ってパパと呼んでくれた日のことを忘れられません。

それから急速に父と娘という関係を築きました。いつしか私たちは血のつながりを超えて、親子になっていたと思います。30歳の私は未熟で血のつながらない娘を受け入れられる自信がありませんでした。そんな私にあせらなくていいと妻は言ってくれました。当時仕事が忙しくなかなか家族と過ごす時間をとれませんでしたが、家にいるときは娘に本を読んだり、お風呂に入れたり、極力関わりをもつ努力をしました。最初は確かに努力でした。でも娘が3歳になったとき私は娘を心の底からいとしいと感じている自分に気付きました。そのあと、妻との間に男の子が生まれましたが幸運にも実子の方が可愛いという思いはなく、むしろ娘に対する愛情は強くなる一方でした。

娘のウェディングドレス姿はとてもきれいでした。娘は私たちに感謝の手紙を読んでくれましたがむしろ感謝したいのはこちらです。娘がこの25年間私たち夫婦にくれた喜びははかり知れません。入学や卒業、節目節目で私たちにいろいろな表情を見せてくれました。チャペルでの挙式でバージンロードを歩いた時、私は涙をこらえるので必死でした。初めて出会ったときの娘の小さな手が私から離れていく、、、そんな感覚を覚えました。さみしさと喜びが入りまじって言葉につまるばかりでした。

娘の選んだ相手は申し分のない相手だし、結婚式には多くの友人がかけつけて二人はとても幸せそうでした。この二人ならこれからどんな困難があっても乗り越えていけるそう思いました。これからは妻と陰ながら娘を支えていけたらと思います。若い二人の門出に幸あれと祈るばかりです。

授かり婚でハッピーウェディング!

結婚が決まり、日程はどうしようかと考えていたところに妊娠が発覚しました。いずれは子供が欲しいと思っていましたが予想外にこんなに早く授かるとはびっくりしました。最初は式は出産後に改めてという意見もあったのですが、私の両親が順番が逆になるとおかしいと言い張ったので大きなお腹で結婚式を行うことになりました。結婚式の計画を立てていた時期は初期のころでつまりもひどかったので主人が中心となっていろいろ決めてくれました。それでもウェディングドレスやブーケなど私がこだわりたい部分では打ち合わせに出席しないわけにはいかず、大変でした。でもウェディングプランナーの方はいろいろ体調を気遣ってくれて、打ち合わせ時間も短めにしてくれました。

お腹が大きいのでウェディングドレスはほぼ諦めていたのですが今は妊婦用のドレスもあるようでお腹を締め付けないタイプのものを選びました。あまり選択肢はありませんでしたが憧れのウェディングドレスを着れただけで満足でした。ドレスを選んだり、試着するときには妹が仕事を早めに切り上げてきてくれていろいろ手伝ってくれました。独立してからはあまり会う機会がなかった妹ですが結婚式の準備をすることで絆が深まったように思いました。

最近はマタニティウェディングも珍しくないようでプランナーの方もお腹が大きくても無理のない式をいろいろ提案してくれました。とにかく立ち歩く時間が極力少ないような進行方法にしてくれてバージンロードを歩く以外がひたすら座っていた気がします。お客様のテーブルを一つ一つまわれなかったことは申し訳なかったのですがみんな私が妊婦だということでいろいろ配慮してくれました。

主人が両親に当てた感謝の手紙の中で初めて性別を発表しました。両親も驚きと感激で泣いていました。妊娠中の私に変わって周囲がいろいろサポートしてくれたおかげで実現できた結婚式でした。式場で使う小物類は一部友人たちが手作りしてくれました。みんなで作り上げた結婚式だと思いました。結婚式を通して本当に自分のことを思ってくれているのは誰か、自分にとって大切な人は誰かということを改めて実感しました。これから幸せな家庭を築き、私たちを支えてくれている人たちにお礼をしたいと思いました。

アラフォーでも大満足の挙式ができました!

アラフォーの花嫁です。私は保険関係の会社に新卒で入社し、それから15近く同じ会社で働いています。入社当時は若くてちやほやされていた時期もありましたが、やがて次々と若い子が入ってきて、いつの間にか古株となり、そしてお局となりました。仕事も任されるようになり、キャリアは積みましたが、なんだかむなしい気持ちで日々を過ごしていました。入社してから何回会社の人の結婚式に出席したかわかりません。次々と後から入った後輩に先をこされ、いつも笑い飛ばしてきましたが心の中ではなんだか惨めな気持ちがありました。周囲も最初は結婚しないの?などと冗談で聞いてきたりもしましたが、いつしか誰も結婚の話題に触れなくなりました。

このまま自分は仕事一筋で生きていくんだと思っていたある日、大学のゼミの同窓会で今の主人と再会しました。大学時代からそれなりに仲は良かったのですが鉄道会社で働く主人は地方転勤が多く、しばらく東京を離れていたそうです。久々の再会で話がはずみ意気投合してその後1年くらいはつかず離れずの関係でした。それが主人が40才の誕生日を迎えた日に結婚の話が出ました。お互いにもう結婚相手はみつかりそうもないから結婚しないかという切り出し方でしたが違和感なくオーケーの返事をすることができました。

主人が40才、私が38歳のときでした。誰もが私は一生独身だと思ってましたから結婚の話をしたときは同僚も上司もそれはびっくりしました。私もなんだか恥ずかしいような、誇らしいような不思議な優越感に浸っていました。でも次なる問題は結婚式でした。結婚式は若くて初々しい二人がやるものというイメージがありましたから今更40才に手が届きそうな自分が行うのはとても恥ずかしく、身内だけの結婚式を希望しました。しかし、主人も私も会社でそれなりの人間関係を築いていたので会社の人間を呼ばないというのは難しい状況でした。

そんな私たちが選んだのは伝統と格式のある式場でした。ある程度の年齢の人なら誰でも知っている落ち着いた式場であまり派手な演出などはひかえました。ウェディングドレスも長袖のマーメイドデザインのもので体型をカバーしてくれるものでした。私の両親も今更結婚式だなんて恥ずかしいわと言っていましたがバージンロードを歩いたり、両親への手紙を読む場面では目に涙を浮かべていました。両親の喜ぶ顔を見ることができただけでも本当に結婚式をやってよかったと思います。

プランナーの協力で私流のウェディングが叶った!

私の父は商社に勤めていて、その関係で人生の半分以上が海外暮らしでした。英語が母国語で日本語はあまり得意ではありませんでしたが、将来的にも日本で暮らすとは思っていなかったのであまり気になりませんでした。アメリカの大学を卒業してから多国籍企業に就職したのですが、日本人ということもあって、しばらくして東京勤務を命じられました。日本食は美味しいですし、友人もいますし、東京で暮らすことは別にいやではありませんでした。

しかし、この東京駐在中に私は運命の人と出会ってしまいました。海外で暮らしていたときには様々な国籍の男性と交際していて、とくにどこの国がいいという概念はありませんでした。しかし、東京で暮らし、日本人男性と交際するうちに自分のアイデンティティについて考えました。どんなに長く海外で暮らしていても私はやっぱり日本人なんだ、そう思うくらい彼との時間は心地よかったです。

半年ほどして彼との結婚が正式に決まりましたが問題は結婚式です。私の友人や信頼する上司は海外にいます。全員を呼ぶことは不可能ですが可能な限り出席してもらいたいと思いました。それに日本の結婚式は形式ばかりを気にするというイメージがあってあまり気乗りがしませんでした。というのも、私が出席した日本の結婚式はあまり交流のない会社のお偉いさんがスピーチをしたり、重たい引き出物をもたされたりといい思い出がないからです。私の希望する式は親族だけでチャペルで式を行い、そのあとのレセプションは明るい日差しの下でガーデンパーティのような感じで行いたかったのです。

そのことをウェディングプランナーに話すとすぐにガーデンパーティができる式場のパンフレットなどを取り寄せてくれました。生バンドを呼んだり、ファーストダンス、ファーストバイトなど私が育った場所での式と同じようにしたかったのです。プランナーの方は海外の式に関しても知識があり、私の希望をできるだけ取り入れてくれました。知らない人が参加したらちょっと変わった式だと思ったかもしれませんが海外からわざわざ来てくれた友人もいて私らしい式だと言ってくれました。結婚式ってしきたりなどにとらわれず花嫁や花婿の希望通りに行われるべきだと思います。それを叶えてくれる式場やプランナーをまず探すことが大切だと思います。一生に一度の晴れ舞台なので悔いの残らないようにしたいですね。

16年目にしてやっと結婚式をあげることができた!

今年私たち夫婦は34歳になります。16年前の雨の夜、二人で手を取り合って夜逃げ同然に東京へ出てきた日のことがつい昨日のように思い出されます。私たちは東北の小さな町の出身ですが、私の家は貧乏で父親による家庭内暴力がひどかったのです。私と主人は中学の同級生ですが、そのころから父に関する悩みを聞いてもらっていました。母は体が弱く父のいいなりでした。父は普段はふつうなのですが、酒癖が悪く酒を飲むと豹変しました。性格も気難しく、仕事も長く続かず、ほとんど母のパートのお金で生活していました。私はそんな生活がいやでいやで早く家を出たいとずっと思っていました。

高校を卒業して上京したいということを両親に打ち明けましたが許されるはずもなく、地元で働けといわれました。私は美容師になるのが夢だったので上京して専門学校に行きたかったのですがそんなお金はないと言われました。近くの工場で働いて家にお金を入れるように父には言われていましたが、私は自分の人生が父の犠牲になるのは耐えられませんでした。でも体の弱い母親を一人残して上京することにためらいはありました。

そんな私の背中を押してくれたのが今の主人です。主人は建設関係の働き口が見つかり、自分も東京に行くから一緒に行こうと行ってくれました。母にそのことを話すと自分のことはいいから好きにしなさいと言ってくれました。私はとりあえず持てるものだけ持って主人と二人で電車に飛び乗りました。私を上京させたことで母はその後も父に責められ続けたようですが私はそれから一度も里帰りしていません。母にはたまに電話をしたり、一度だけ用事がてら東京の方まで出てきてくれましたがそれだけです。いつも母のことは気になっていましたが忙しい都会の生活の中で思いだす回数も減っていきました。

主人とは数年して籍を入れましたが結婚式をする余裕などありませんでした。あれから12年、小さいながらも主人は建設会社の社長となり人並みの生活ができるようになりました。この12年間は働きづめで本当に大変でした。父は2年前に亡くなり、自分の家を持つことができたので母を呼んで一緒に暮らそうと思いました。そしてその節目として結婚式をしました。決して豪華な結婚式ではありませんでしたが、友人や主人の会社の人、近所の人を呼んで楽しい時間を過ごしました。今更ウェディングドレスもなんだか恥ずかしかったですが最近では晩婚の人も多いみたいで露出の少ない上品なドレスもあり助かりました。

結婚式は人生の節目として大きな意味があると思います。自分自身や相手の人生について考える機会を与えてくれます。それに親や周囲への感謝の気持ちをあらわすためにも結婚式はした方がいいですね。私たちも時間がかかりましたが第二の人生のスタート地点に立つことができたと思います。

病気の父に花嫁姿を見せることができた!

付き合って8年になる彼氏がいます。彼とは大学生の時に知り合い、社会人となってからも順調に交際を続けています。しかし、知り合ったばかりのころは若かったせいか喧嘩も多く、そのたびに父がいろいろ相談にのってくれました。学生時代から彼を知っていますので今では彼も父を本当の父親のように慕っています。私は女兄弟しかいないので父も息子ができたようで嬉しかったのかもしれません。私たちの世代は就職難でしたがどうにか二人とも希望の会社に就職して、今に至ります。

私たちももうすぐ20代後半になるので結婚を考え始めています。今はお互い仕事も順調でつかず離れずいい関係なのでとくに結婚を急ぐ必要もないかなと思っていたのですが状況が変わりました。というのも、父が末期の癌と診断され余命半年と宣告されました。以前から病気のときは教えて欲しいと希望していたので、父にはそのことを伝えました。父は冷静でした。病院を何回か変えたあたりから気付いていたのかもしれません。父の病気がわかってから父と過ごす時間を意識的に増やすようにしています。その中で父が私の花嫁姿を一目見たいと願っていることを感じました。父は私にプレッシャーを与えないように私には直接言いませんでしたが、母から聞きました。

彼氏にその話をするといつか結婚するなら今がそのタイミングなんじゃないかと言ってくれました。私自信あまり結婚式というものに興味がなく家族だけのアットホームな結婚式を検討していたのですが父が私や彼氏の友人や会社の仲間に会いたいのではないかと考え、一般的な結婚式をすることに決めました。スピーチは上司にお願いし、友人たちがサプライスで余興をしてくれました。ウェディングドレスで父とバージンロードを歩いたとき、本当に式をして良かったと思いました。最近は車いすでの移動が多かった父ですが、そのときだけは自分の足で歩きました。その足取りは病人とは思えないほどしっかりしたものでした。父と赤いじゅうたんの上を一歩一歩進むたびに父との思い出が走馬灯のように思い浮かびました。今日まで育ててくれてありがとう、心からそう思いました。

本当にどこにでもあるようなありきたりの結婚式ではありましたが、結婚式には自己満足以上に家族や友人への感謝の意味が大きいと改めて思いました。父はそれから間もなくして亡くなりましたが、ベッドの横には私のウェディングドレス姿の写真が最期まで飾られていました。あとから母から聞いた話ですが、本当に喜んでいたそうです。もう思い残すことはなにもない、そう言っていたそうです。今日まで育ててくれた父に初めて親孝行ができたと思いました。亡くなった父に恥じないようないい家庭を築いていきたいと思いました。

サイトマップ